2010年11月7日日曜日
氷点下キャンプ
先週末、キャンプに行ってきました。
夜は氷点下になるこの時期。
今年最後のキャンプだね〜と話しながら。
新しく購入した我が家の2台目愛車、ホンダCRV の走り具合も楽しみに。
もちろん中古車で、1998年式。
1台目のスバルは2000年式。
日本ではあまり見かけないような年式も、こちらではバンバン売買されてます。
いざ、北に向けて走ります。
先ずは、Angel Peak (エンジェル ピーク)へ。
広大な土地をひた走り、キャニオンが見えてきます。
ただただ広がる青空に、交差し重なる飛行機雲。
沢山の飛行機雲を見上げ、ここは飛行機の渋滞地域?なんて思います。
ポンポンポンとポンプが何かを汲み上げる音。
そして、見えてきたのは、大きなポンプ工場。
この辺りは、アメリカの中で、最大の天然ガス採掘場であることを、初めて知りました。
採掘現場を視界の中に歩くのも…と、キャニオンを眺めた後、立ち去りました。
ネイティブアメリカンにとって、神聖な場所…
ある人にとっては、開発採掘場所…
そして、次なる場所、Bisti (ビスタイ) へ。
独特な地形の中を歩いていきます。
戻り道の目印に、年月をかけて造形されたサンドストーンの独特な形を覚えながら。
人、仏様、熊…と、色んな顔があります。
そして、太陽のある場所も確認。
数台の車が先着してはいるものの、人影一つありません。
ただただ、あるのは…
そして、今夜の野営場、Chako Culture (チャコ カルチャー) へ。
とても楽しみにしていたチャコ。
沢山の人から勧められていたチャコ。
夕日が沈む少し前に到着しました。
先ず驚いたのが、キャンプ場が、遺跡のまん前。
私達のテントの後ろには、数百年前、アナサジが暮らしていた建物があるのです!
ネイティブアメリカン、アナサジの人々の営みを想像します。
ここで、火を焚いて食べて…
夕焼けが美しく広がり、月がうっすらと浮かび上がります。
遺跡を前に写真を撮りました。
私と遺跡を、テッドがシャッターを押して。
そしたら…その写真がデーターに無く…
何度か試したのですが、同じ結果。
私が、テッドを被写体に映すと、データーが見れます。
私が撮影した遺跡の写真も無く…
摩訶不思議。
のようですが、写真に撮って欲しくないというメッセージかもね〜と思いました。
そして、数時間後には、満点満点の星。
天の川が、くっきりと流れ、小さな小さな星まで見えます。
首を、折れそうな程、後ろに反り返らせて。
暗闇の中、他のキャンプサイトの見学。
うわーー、洞窟状になった遺跡。
そこで、ヘッドライト灯して、晩ご飯の用意をしている人々。
それぞれのキャンプサイトにそれぞれの趣があり、次に訪れるのが今から楽しみになってしまいます。
星がうわんうわんと、続々姿を現します。
寒くなるのを覚悟で、準備してきた重ね着とブランケット。
ぱんぱんに着て、くるまって、完全防備。
笑けるくらいの重ね着。
夜明け前、隣のテントから聞こえてくる大きなイビキ。
一緒のテントで寝ている相方は、眠れたのかしら…と気になります。
因に、この日の晩は、−1度でした。
日の出、日の入り前後の空の色の移り変わり。
どうしてこんなにも美しいのか。
毎回、心に響きます。
こんな時、南インドのカニャクマリで、多くの人々と一緒に拝んだ日の出を思い出すことがあります。
太陽神。
ビジターセンターで、ドイツ人親子 (父と息子)と出会いました。
彼らは、車でカリフォルニアからシベリアまで走ったそうです。
逞しいジープが、存在感を放っています。
沢山の遺跡が残るチャコ。
一時は、数千人が暮らしていたという大集落。
一つの遺跡で、600〜700もの小部屋があるものさえあります。
そして、やはり目を引くのが、キバ (儀礼的な空間)。
丸い形の中に、柱があった跡。
そして、大地からやってくる魂の通り道。
チャコで最も大きなキバには、各集落の代表者達が集まり儀式を執り行っていたのでしょう。
チャコキャニオンに上がり、石の道しるべを頼りに歩いていきます。
何も遮る物がない平地。
突風が吹き抜けます。
遺跡を巡り、足下の小さな花や虫に感動します。
この乾燥地に生きる数々の命。
ここに暮らしていたアナサジ。
天体観測をし、器を焼き、絵を描き…ペテログラフも見られます。
ここチャコは、多くのネイティブアメリカンにとって、とても神聖な場所。
口承により民族の遺産が継承されているとのこと。
保存活動、発掘調査、共に行われています。
なるべくそのままの姿形で保存していこう、というように変わってきていると聞きました。
チャコ、必ず、また訪れます。
車のガソリンが、町のガソリンスタンドまで保つかどうか、超ドキドキハラハラしながらチャコを後にします。
かなりのデコボコ道。
レンジャーからも、道はとても荒れてるよと言われましたが、その通り。
チャコは、4WDでないと難しいだろうと聞いていたことに納得。
ホンダCRVの車高の高さ様々。
それでも、時折、ガツンと大きな石が車の底にぶつかり、あまりにもその音が大きく響き、ちょっとドキッとしました。
あーーー、ガソリン。
町に入り、地元の人の案内に助けられ、何とかエンストせずにガソリン注入。
感謝。そして、ギリギリセーフ!
私もテッドも安心感からお腹が空き、ガソリンスタンドでおやつ時間しました。笑)
その後、2泊目の野営場、El Morro (エル モロ) へ。
テントを張ったと同時に日が沈んでいきました。
暗闇の直前に用意できた、焚き火用の木を重ね、火をつけます。
暗闇に火。
これだけで、とても安心しますよね。。
野外でぽつりと居る時、火の力は偉大です。
温めてくれ、他動物との距離を守ってくれる。
そして、火との時間を与えてくれます。
この晩も覚悟して、重ね着しまくります。
腰から下には、ブランケット巻き巻き。
そして、−4度だったのに、私…熱かった位でした。
寝袋の中、寒くて眠れないのって、ホント辛いですよね。
何度も経験あります…
四国お遍路さんでも、よくあったな。。。
エル モロは国立遺跡。
翌朝、ビジターセンターに行くと、
「もしかしてテントで寝てたの…あなた達…寒かったでしょー」
と労いの言葉をもらいました。
いえ、熱かったです…と私。笑)
この場所は、天然水が沸き、各方面からのネイティブアメリカンが休憩地点として過ごしていた場所です。
その後、スペイン人らも度々訪れ、彼らが通過時に残したサインや詩などが掘られています。
テッドが解説書を片手に、私に要約してくれながら、一つ一つ見ていきます。
そして、そこから車で20分程に位置する、ズーニー プエブロへ。
大幸運にも、その日は、収穫ダンスの日でした!
感激!
老若男女が衣装を身に着け、踊っています。
女性は、黒と白を基調とした服とブーツ。
真っ青のターコーイズの飾り物。
前髪様の黒いものが、目の下までぶら下がっています。
手と頭には鳥の羽。
男性の衣装は女性よりも多彩で、フォックステイルと言って、狐を尾っぽの様に腰からぶら下げています。
手には、楽器や、同じく鳥の羽。
そして、ドラムを中心に歌い上げる男性グループ。
地に響くドラム。
空に響く歌声。
その場に居合わせている喜びが、大地から沸き上がってきます。
歌と踊り。
シワシワの小さなおばあさんが列に加わり、経験を感じさせる静かな踊りを。
その後ろには、ぷちぷちホッペの子供が、ぴょこぴょこと足踏みしています。
青年が、誇り高い眼差しで自分の世界に入っています。
そして、回りには、踊りを眺める人々。
そこに加わる私達。
涙が出そうになりました。
その後、プエブロのレストランへ。
そこで食べた、豆のブリトー。
出来立て新鮮で、今まで口にした豆のブリトーの中で、一番美味しかったです。
帰路の途中、今回の最後の訪問地、El Malpais (エル マルパイス)へ。
ここも、国立遺跡で、広大な敷地です。
今回は、その一部、カルデラを歩いてきました。
約70万年前の火山活動の末の、この一種異様な光景。
真っ黒のデコボコ地、そして、山ができあがっています。
ここでも石の道しるべを頼りに歩きます。
黒い固まりの大地と、それでもそこに生える逞しい木。
この道しるべが無いと、きっと方向をすぐに見失うでしょう。
どこも同じ景色に見えるのですから…
その先には、大きな大きな洞窟がありました。
火山が爆発し、溶岩が流れ固まり、洞窟となり…
人類の誕生のずっとずっと昔の出来事。
洞窟を流れる風を感じ、気が遠くなりそうになります。
そして、再び、石の道しるべを確認しながら、車まで戻ってきました。
この3日間で、見て感じたもの。
未だ、フワフワと体内を泳いでます。
大地の活動、自然の造形キャニオン。
ネイティブアメリカンの遺跡。
そして、今も受け継がれている文化。
本物の美。
ちょっと余裕なく過ごしているこの頃。
薄っぺらい現代社会のシステムに右往左往してるなんて…
勿体ないですね。
本物の実。
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