2011年6月27日月曜日

きいろ

ある日、ちゃぶ台に座る私を横から見て、くすりと笑うテッド。

テ「ムーミンって知ってる?」
み「もちろん知ってるよ。」
テ「横から見るとムーミンみたい…ちょっと笑ける…」
み「・・・。」

お腹だけが飛び出た私。
ムーミンみたいって…
でも、ちょっと嬉しい。。



まあるく、きいろ。


つぶつぶ、きいろ。


もうちょっと待って欲しかった…きいろ。ごめん…


お散歩日和な、きいろ。








たけのこの里みたい、あかときいろ。

2011年6月24日金曜日

ご馳走様でした



今日のお昼ご飯。

玄米ご飯の上に、
サンタフェ在のA友人のお父さんが日本で漬けられた、ぷりぷりの梅肉をのせ、
B友人が他州からお取り寄せしてくれている、アメリカで驚きの本物納豆を山盛りにし、
すり炒り黒ごまをドサドサかける。

副菜に、
C友人お手製の、蕪と昆布のお漬け物、
私作の、ひじき煮。

お味噌汁の具に、
アメリカ産海藻と、
D友人夫婦の家庭菜園で育った太ネギ。
この太ネギ、かなり貴重なのです!
こちらのお店では、ほそほそ〜いネギか、太いものとなるとリークしか手に入りません。
友人夫婦の家庭菜園さまさまです。
太ネギを貰って、匂いを嗅いだときの恍惚感といったら…大事大事に食べてます。

「馳走」という言葉は、昔は、食材の調達に馬を走らせ奔走し、多くの人々が走り回って用意をしていたことから、おもてなしの意味も含まれるようになり、
「ご馳走様」は、それら多くの人々を介したおもてなしへの、感謝の意を現す言葉として使われるようになったと、初めて知った時には、なるほど〜と心から納得したのを覚えています。

今日のお昼ご飯を食べながら、
「あ〜ほんまにご馳走様やわ〜」と、一人つぶやき、噛み締めました。
おいしいものが、友人知人や家族の、また、生産者や製造者の、手や存在を通して、ビタミン愛(笑)が加わり、更に更においしさが膨らみますね。
しあわせ。。。

ご馳走様でした。

2011年6月22日水曜日

作る、食べる



もりもり作って、もりもり食べてます。

何年振りかの手作りピザ。
テッドにとって、ピザはなくてはならない大好物。
私にとって、食べたらおいしいけど、私の人生になくても全く困らない物。
何故だか、ふと、ベジピザを手作りしよう!
と思い立ち、トマトソースを作りながら、生地を捏ねる。
テッドに好評だったので、調子にのって、お友達との晩ご飯にも。
おいしいね〜!
これからは、数ヶ月振りくらいに登場するかも…笑)





玄米餅。
友人から象印のお餅つき機をお借りして。
圧力鍋で玄米を炊いてから、お餅つき機についてもらいました。
玄米を炊く時の水加減で、出来具合にかなりの違いが。
3度目の正直で、お餅らしい仕上がりになりました!
1,2度目の柔らかいお餅も、お味噌汁に入れたり、おはぎ食感で食べたり。
つきたてのお餅に小豆をのせて…最高でした〜しあわせ〜



よくよく作る、そば粉ケーキ。
ミレット粉と混ぜたり、黒豆や胡桃を入れたり。
そば粉のケーキは珍しいようで喜んでもらえます。
混ぜて焼くだけの、ありがとうレシピ。



上写真の桃。
「ドーナツ桃」という名で、丸くなく平べったいのです。
味と食感は、桃と梨の掛け合わせのようでした。美味!

2011年6月20日月曜日

アンマの抱擁



先週の金曜日、アンマのダルシャン(抱擁)を授かる機会を得ました。
隣町のアルバカーキーへ、テッドと友人夫婦、4人で行ってきました。

その日のセレモニーが始まる、午前10時少し前。
会場に到着すると、駐車場は既に満車。
運良く一台の空きスペースを見つけて、キュッと車を滑り込ませます。
インドスタイルの服を身につけた人、インドスカーフを首に巻く人、聖者に会うべく白い正装着の人…が、次々と入って行くドアが目に入り、直ぐに入口だと分かりました。

会場スタッフの方々も、親切にすぐ声をかけてくれます。
先ずは、ダルシャンの順番を待つ整理券を渡されました。
私が妊婦と気付くと、直ぐに、妊婦への特別配慮があることを説明してくれます。
整理番号を待たずとも、早い目にダルシャンを受けれるとのことでした。
しかも、私だけでなく、テッドと友人夫婦も一緒に。
番号順だと午後になるとのことだったのですが、お陰さまで、お昼前にはダルシャンを終えていました。

アンマの姿が、左右に設置された2つの大きなモニターに映し出されるようになっています。
会場に入られたアンマ。
白いゆったりとした服と首には美しい花の飾り。
写真から記憶していたアンマよりも、少し痩せられたように見え、世界中を抱擁して巡られるアンマの過密スケジュールを、勝手に心配してしまう私です。

ダルシャンを待つ間、友人が「見て見て」とモニターを示します。
お付きの人がアンマの耳元に携帯電話を近づけ、アンマが話しをしています。
大きな口調で。
彼女の胸元には、抱擁を受けている人。
現代のダルシャンの一場面ですね。

見ていると、お付きの人が入れ替わりでアンマと話し続けています。
話しをしながらも、抱擁を受ける人は、次々と誘導され入れ替わります。
2列になってダルシャンを待つ人々を、誘導役の方々が、手際よく導いていきます。

私の番となりました。
真っ白のアンマの服が近づき、私の額がアンマの胸元に沈みます。
いい薫りが、ふわっと私を包み込みました。
その瞬間、今まで聞こえていた人々の話し声、生演奏のインド音楽…全ての音が消えさりました。

静寂と薫り。
その静寂が、アンマの声、私の耳元から響くマントラに変わっていました。

ピンクの花びらが舞い、私の掌には、3枚の花びらとKiss チョコレート。
目の前のアンマにお礼をします。
頭を上げると、彼女の優しいまあるい瞳が、そこにありました。
ふわ〜としたまま、別の列に並び、ダルシャンの余韻の中に座ります。
お腹の子は、ダルシャンの間中、静かでした。

妊婦暮らしもあともう少し、というこのタイミングで授かったこの機会。
子と一緒に受けたダルシャン、ありがとうございました。
私達よりも早く会場入りしたのに、未だ順番待ちをしている方々に申し訳ないな…と思いながら、特別配慮してもらったことにも感謝でした。

指圧のクライアントさんの中に、サンタフェにあるアンマのアシュラムに暮らす方が数人います。
そのご縁で、数回、私もそのアシュラムに行かせてもらいました。
高台にあるアシュラムは森に覆われ、山を見下ろす窓からの景色は、それは美しいのです。
そこから見た、一段と近い雲が、蘇ってきます。

2011年6月11日土曜日

日々の巡り



東日本大震災から3ヶ月。
未だ、8,000人以上の方々が行方不明のままですね。
どんな状況下にいらっしゃるのだろう…と思うと、心が痛いです。
日本では、「脱原発100万人アクション」や、様々なムーブメントなど、人間力が集結。
もちろん、海外でも。
ひとりひとりの願いを声に、行動に。

と同時に、無力感や無気力に襲われている人が沢山いるということも見聞きします。
動ける時は動き、お休みが必要な時はお休みし、こうでないといけないというのは全くなく、自分のまんまで。はい。




こちらサンタフェ、観光客が集まる季節が巡ってきました。
夏には、更に増え、それが秋頃までつづきます。
町の中心、プラザは活気に溢れ、色とりどりの花々も笑顔で人々を迎えてくれているようです。
観光業で生活している方が多いサンタフェ。
ここ数年の経済不振の影響を受けている中、この活気が潤いを与えてくれますように。



私の方、臨月に入りました。
ここになって、子とお腹がググッと更に成長してきています。
先日、助産師さんと自宅出産についての具体的な話しをし、いよいよだな〜と実感が湧いてきてます。

指圧も、お陰さまで続けています。
人数は少なくしていますが、定期的に。
妊娠初期は、8ヶ月位までできるのかな〜なんて漠然と思ってましたが、これがこれが。
体調をみながら続けていると、快調にいつまででもできそうです。笑)
自分自身も、そして、きっとお腹の子も、気持ちよくって。

こちらのマッサージ師の友人が、8ヶ月目に入ると、からだは大丈夫でもお腹がマッサージベッドにつかえて産休に入ったと言っていたのを思い出します。
指圧の場合、布団で施術し、自分の姿勢を楽に調和できることも長くできる理由の一つなのでしょうね。
色々とありがたいです。ほんとに。
このまま続けても…という気持ちもあるのですが、予定日2週間前頃からは、準備とゆっくり対話の時間を持たせてもらおうかな〜と思い始めています。
二心同体の時間を。

出産間近になり、ようやく準備にとりかかったここ数日。
自宅出産に必要な物を揃えたり、頂いた子への衣類やおくるみの洗いなど。
出産直後から、テッドと2人3脚での育児中心となるので、自分用の食事の冷凍保存も少しづつ始めました。
近々、テッドに、玄米の炊き方とお味噌汁の作り方などを伝授します〜

私は、妊娠出産、その後の過ごし方にも、可能であればこのようにしたい、というのがあるのですが、それは、結婚当初から伝えており、その全てを当然のように受け入れてくれるテッドには、心から感謝しています。
私がテッドだったら、面倒だな…って思うかも…笑)
また、今から、手伝いに行くよーと言ってくれる友人があることも、心からありがたく、そう言ってもらう度に、実は、涙が出そうになります。

日々、ありがとうございます。

2011年6月7日火曜日

スモークサンタフェ

ここ数日、どよんとした空気が広がっています。
青空スコーンのサンタフェでなく、スモークサンタフェ…といった感じ。
煙った空気と匂い。
昨夕はかなりひどく、黄色い空に、すぐ近くで火事があったのではと思うような匂いが漂っていました。

昨年から雨、雪が殆ど降らず、記録的な乾燥警報中のニューメキシコ州や近隣の州。
山火事注意報では、最高度のサイン。
キャンプ場では、焚き火中止のサイン。
乾燥しきった木々に、ほんの小さな火種でも飛んだものなら…
という訳で、自然発火で発生する山火事が多発しています。
もちろん人災や計画的な山焼きなどもありますが。

この度の煙は、隣のアリゾナ州での山火事が原因とのこと。
隣といえど随分と離れてるのに、この影響。
かなり大きな山火事であることが容易に想像されます。
アリゾナ州の観測史上3番目に大きな山火事であるとの報告も。
被害が、これ以上広がらないことを祈ります。

ネットニュースでも、窓を閉めて外気を吸わないように。
屋内でも、キャンドルやお線香を焚かないように。
などど注意しています。

そして、今晩の夕日。
日が長いこの時期、夜の8時30分頃の、我が家の庭からの写真です。
煙や煤などの反射もあり、普段よりも黄色みがかっています。

2011年6月5日日曜日

Four Corners



5月中旬、テッドの旧友との再会&ロードトリップに行ってきました。
今回は、Four Corners と呼ばれるエリアで、4つの州、ニューメキシコ、コロラド、ユタ、アリゾナが交わる場所です。

先ずは、以前、途中まで行って、道路状況のあまりの悪さに断念した サンタフェナショナルフォレストにある Spring (Nogales) Canyon へ。
遺跡を目指して歩きます。
妊娠9ヶ月のお腹の私は、登っていくごとに、息がフーフー。
でも、その甲斐ありました。





Chama の地元レストランでのランチ後、Bloomfield にある Salmon Ruins へ。
約1,000年前の遺跡群。
川が近く、緑が豊富です。
この遺跡のすぐ近くの家の庭で、私達が遺跡群に居る間中、老婆が植物に水をやり続けていました。
何故だか、いつここを訪れても、この老婆が庭で水やりをやっているような、そんな気がしました。





コロラド州へ向けて走ります。
私達を取り巻く景色の移り変わり。
山々は高く、青く、そして、未だ雪を被った山頂も見えてきます。
「ニューメキシコからコロラドに入った途端、山々が変わる」と聞いていましたが、本当にその通りでした。



テッドの高校時代のベストフレンドの友人家族が暮らす Durango に到着。
脈々と流れる川。
そこから隆起する緑濃い山々。
町の建物もレンガ色に統一され、私もテッドも、一気にこの町のファンになってしまいました。



待ち合わせのレストラン Southwest の前で、友人が待ってくれていました。
奥さんはお仕事で、テッドの友人と3人の息子さんとの夕食。
そこは日本食レストランで、お寿司、お刺身、麺類…とメニューも豊富。
食べ盛りの3人の息子さん達のお気に入りは、カリフォルニアロールと、イカの唐揚げ。
普段、日本食レストランに行くことは殆どないので、堪能しました。

その晩は、彼らのお家にお泊まり。
奥さんも仕事から戻られ、皆で団欒。
イケメン3人の息子さん達の将来が、勝手に楽しみな私でした。
うっしっし。。





翌朝、最初に訪れたのは、Anasazi Heritage Center。
新しく立派な建物の中には、12世紀頃のものが展示されいます。
間口、スペースなどゆったりととられ、車椅子の方の利用し易さが心地よかったです。

先ずは、Lawry Ruin (Lawry Pueblo) へ。
建物の浸食を防ぐため、屋根が備え付けられています。
その中に入り、当時の生活、匂いを想い描きます。





Painted Hand。
大きな岩の上に造られたタワー。
見張り台として機能していたのでしょうか…





コロラドとユタの州境に位置する Hovenweep National Monument。
様々な形、大きさの建造物遺跡があります。
環状のトレイルを歩きながら、それらの遺跡を、様々な角度から見ることができます。











ペテログラフが残る Sand Island。
一日の疲れが出始め、重い足を引きずるように歩き…
それでも、やはり見たいのでした。



そして、以前から訪れたいと思っていた、ナバホ族の聖地、Monument Velly (モニュメントバレー) に向かいます。
ユタ州に入ると、奇形とも言えるような、独特な地形が目の中に入ってきます。
青い山のコロラドから、赤い土のユタへ。




ピース。


合掌。


浸食によってできたテーブル状の大地、メサ(Mesa)とメサの間。
どこまでもどこまでも続く道を走り続けます。

ついに、見えてきました!モニュメントバレー!!
ユタからアリゾナに広がる大地帯です。
テッドは、この風景を、数々の映画の中で、何度見たことか…
ついに実際に見ることができた!と感激。
私も、圧倒的な存在に言葉を失い、ただただ、直視していました。





聖地内を、車にて見せて頂きます(ハイキング禁止)。
太陽が西に沈む頃で、赤い大地に強烈な光が反射しています。
照らされた聖地の輪郭。
舞い上がる砂埃。
全てを包み込む赤い大地。







北海道からのハーレーグループの男性らと出会いました。
ウエスタンスタイルがビシッと決まってます。
日本の震災のこと、ここをツーロングすることが一生の夢だったことなど話してくれました。
記念撮影する皆さんの顔、太陽と同じくらい輝いてました。
北海道に来たら連絡して〜と名刺まで頂きました。

キャンプサイトで、テントを設置します。
聖地に抱かれてのキャンプ。
現実と非現実の間に居るような感覚。

太陽が沈む毎に、赤い大地から、黒い大地へ。
風が強くなり、外にじっと座っているのが辛くなるまで、ただただ、母なる大地を見つめていました。







暁の頃、風がますます強くなってきます。
テントがバタバタと揺れています。
外にでると…







ここでの朝食。

雲が現れてきました。
ただただの、自然美。
あるがままの美。



後ろ髪を引かれながら、テッドの大学時代からの友人家族との待ち合わせ場所に向かいます。

アリゾナ州、Wupaki National Monument。
友人家族は、Phoenix (フェニックス)から。
彼らの家に、以前、泊めてもらったことがあり、約3年振りの再会でした。
2人の息子さんの、3年分の成長も目まぐるしかったです。



この遺跡で、沖縄からのシャーマンがお祈りをしていました。
聖地を巡って祈りを捧げているとのことでした。

この空気孔。
自然のエアコン。
冷たい風が、止むことなく吹き上げています。
強い日差しの中、来る人来る人、顔を近づけては髪をなびかせ、束の間の冷気の恩恵にあずかります。
そして、私も…



続いて、Sunset Crater Volcano National Monument。
1040〜1100年の間に起こった噴火によりできた地形。
溶岩が固まって真っくろくろ。

大きなお腹になって、何がしんどいかって、それは登り。
平地だと今までと然程変わらないのに、登りとなると急に足に堪えます。
なので、私は一切会話なしで、ただただ頂上めがけて、一歩一歩、マイペースに。
亀の歩みで。





は〜頂上に到着。
がんばりました!自分を褒めてあげました!
達成感と共に、向い側に見える山の奇麗なこと。
3歳の弟君も、最後少しだけ、お母さんに抱かれたのみで、ほぼ自分の足で頂上に。
スゴイ!

そして、本日最後の国立公園に向かう途中のハイウェイで…
友人らの車がトラックに巻き込まれる事故に!
怪我人なく、直ぐに警察も来てくれ、友人らの直ぐ後ろを走っていた母娘さんが証人として話しもしてくれ、無事に事故手続きを終えることができました。
バックミラーから一部始終見たテッドの慌てる声で、事故を知った助手席の私。
皆が無事で、本当に本当によかった。。

アメリカに来てから、事故現場をよく見かけます。
ハイウェイを超高速で走る車。
気をつけましょう。

深呼吸をして、その晩の宿泊先、 Flagstaff へ向かいます。
初日の晩に訪れた、コロラド州の Durango を少し思わせる、ここも心地のいい町です。
テッドが見つけた、84年の歴史ある老舗でありながらも、格安なホテル。
様々な分野の著名人が宿泊したことでも有名で、部屋のドアの前には、泊まった人のネームプレートと写真が貼られていました。

この日は、大学の卒業式でもあり、町中で卒業生や親御さんを見かけます。
通りをパレードする人々もいて、噂通り、とても賑やか。
この晩も、アジア日本食レストランに行くこととなり、幸せな私。
アメリカのロードトリップでは、なかなかアジア食にありつけることがないので、今回の旅は、本当にラッキーでした。



旅の最終日。
友人家族とホテルでお別れをして、再び、遺跡を巡ります。

Canyon Diablo の渓谷にかかる橋を見たかったのですが、見ることができず。

ルート66で有名な Winslow へ。
イーグルスの「Take it Easy」の歌詞にも出てくるこの町。
まさに、その歌詞に出てくる場所にあるお店に入ると、何と!「Take it Easy」がかかってました。



Homolovi Ruins へ。
ホピ族の遺跡群。
私達にとって、初めてのホピ族の場所です。




四角い Kiva を初めて見ました。

そこの受付にいたレインジャーの女性がホピ族の方で、昨日は、儀式でダンスを踊ったと話してくれます。
そして、「今、ホピ族のメサで、ダンスをしてるから行ったらいいよ」と教えてくれたのです。
何とも、幸運な私達!
メサの麓には、沢山の車が止まっています。
そこからは、歩きのみ。

広場では、人の輪が何重にもなっています。
その中で、沢山の男性が伝統衣装を身につけ、踊っています。
踊り手の中央には、初老の男性2人。
彼らが、太鼓を叩きながら、歌をリードしています。
澄み通った、それでいて、空高く響く歌声で。

ダンスを見つめる、老若男女。
用意された椅子に、家々の屋根に、親に抱かれ、若いカップルが手をつなぎ、リズムをとりながら、歌を口づさみながら…と思い思いに。
私達は、立ち見の人々に混じって凝視します。

カツィナ(と思われる)の衣装のグループ、動物のグループと、大きく二手に分かれていました。
強い日差しの中での激しい踊り。
どれ程の暑さなんだろう…と思ってしまいます。

燦々と照る太陽の下、大地を踏みならし、歌い、踊る姿。
釘付けになる美しさです。
その姿を見つめる人々も、また、美しいです。

ダンスが一旦止み、篭にもられた沢山の、様々な食べ物が、彼ら踊り手によって、回りで見ている人々に恵まれます。
近くの人には手渡しで。
遠くの人には、ぽーん、ぽーんと、手投げで。
日本の餅まき行事を思い起こさせます。
とうもろこし、果物、お菓子、ホピブレッド(パン)などなど。
かなりの量の食べ物を、与え尽くすまで続きます。

そして、私の元にも届きました!
ホピブレッドと真っ赤なリンゴ。
テッドにも、ホピブレッドが。
嬉しくて、その場で踊りたい気分になりました。笑)
感謝。

ダンスを、ずっとずっと見続けていたい気持ちをグッと抑えて、帰路に就きます。
メサを降りながら、何度も何度も、後ろを振り返り振り返りして。

途中、Hubbell Trading Post に立ち寄りました。
ここは、昔、物々交換や売買が行われていた場所です。
今でも現役のトレーディングポストは、それ程ありません。
歴史を感じる建物の中も、とても趣のある洒落たお店でした。



お店の男性が、私が日本人と分かると、この度の震災のことを心配して、日本の状況を聞いてくれました。
色んな場所で、多くの方々から、同じように声をかけてもらいます。

そして、3泊4日の Four Corners の旅は終わったのでした。


こちら、頂いたホピブレッドとリンゴ。
パンの穴は、運ぶ際に、テッドの指がはまってできたもの…
もう一つのパンは、帰りの道中にいただきました。